Q1. 少年時代にはどんな映画を観た?

僕の映画の記憶の最初にあるのは5歳のときに観た『チキチキバンバン』。小学時代は山口百恵ファンでしたので、『伊豆の踊り子』に始まり『潮騒』、『絶唱』や桜田淳子の『若い人』などの東宝文芸路線、『八甲田山』、『ああ野麦峠』、『幸福の黄色いハンカチ』、F・トリュフォーの『思春期』を観たのもこの頃。テレビの「赤い〜」シリーズも全部観ていましたので当時はマセたガキでした。『エクソシスト』は人生最大の恐怖体験で今でもトラウマとなっているようでホラー映画が苦手です。
中学になると、角川映画が出現し、『犬神家の一族』、『人間の証明』、『野生の証明』などのスケールの大きい作品に魅了されました。薬師丸ひろ子ちゃんは同学年ということもあり惹かれました。
その頃は映画体験=読書体験となっていて、映画から入門して川端康成、三島由紀夫、横溝正史、森村誠一、赤川次郎などの小説を読み漁るといった感じでした。アラン・パーカーの『ミッドナイトエクスプレス』を観てから漠然と「映画の仕事がしたいなあ」と思うようになりました。

高校時代、水戸には映画館が11館あり、邦画・洋画のメジャー系は網羅していました。角川映画や金田一シリーズは好調で、そこに『未知との遭遇』、『スターウオーズ』、『レイダース』などには度肝を抜かれていました。オデオン座という名画座で『天井桟敷の人々』を観たかと思えば、にっかつロマンポルノで『ピンクのカーテン』(主演は美保純)観たりしていました。

 
Q2.  どんな大学生活を送った?

早大シネマ研究会という自主映画サークルで自主映画製作とバイトに明け暮れていました。大学は年度末になると「学費値上げ反対」で学生ストライキをやっていたので、レポート提出で単位をかろうじて取っていました。そのシネ研も数年前に消滅したと聞いています。
 
Q3. 大学卒業後、入社した会社ではどんな仕事をしてた?

TCJというコマーシャル制作会社でプロダクションマネージャーをやっていました。この会社は設立時は「スーパージェッター」などテレビアニメを作っていました。仕事の中身はプロデューサー補&制作部&助監督&美術助手&編集助手みたいな何でも屋。カネボウ化粧品がメインスポンサーでした。その頃は、「春の口紅〜鈴木保奈美」、「夏のファンデーション〜浅香唯」、「秋のアイシャドー〜松田聖子」なんて感じでした。
 
Q4.  初めて携わった作品の想い出は?

大学時代から、CMやPRビデオのプロダクションでバイトをしていたので、やはり一番強烈だったのは初めての映画(「君は僕をスキになる」渡邊孝好監督)ということになります。とにかく毎日雑用に追われ苦しかったけど楽しかった。睡眠は毎日2〜3時間でしたが、映画をやっているという高揚感に溢れていました。20代前半の体力が無ければ出来なかったけど、その時期にやれたことは運があったのだと思います。
 
Q5.  プルミエ・インターナショナルへ転職したのは何故?

映画会社の募集が無かったので広告業界に入りました。当時は撮影も編集も35ミリフィルムでしたので、ディレクターの指示に従いラッシュ編集もしていました。今思えばいきなり映画でなく、こういう体験が出来たことがとても良かったと思います。

 
Q6.  映画をプロデュースするという仕事を選んだ理由は?

プルミエで映画作りの1から10まで見られたことが大きかった。そこに全部関わるプロデューサーはやりがいがあると感じました。ちなみに10段階とは1〜3企画開発・出資集め・キャスティング、4〜6ロケハン・準備・撮影、7〜8仕上げ、9宣伝・プロモーション、10公開という流れになります。
 
Q7.  いつから、この仕事を生業にしようと思った?

一生やりたいと思っても想いだけで出来る仕事では無いので、一年ずつ積み重ねてどこまで行けるか?という状態です。
 
 
削除
 
Q9. 演技をしたいと思ったことは?

僕は大学時代、コテコテの茨城訛りでしたからありえません。
だいたい茨城出身者はアナウンサーにもなれない。(多分、ホント)
 
Q10. プロデューサーという仕事は何をするの?できれば詳しく教えて下さい。

企画の立案〜脚本作業、予算・スケジュール作成、製作出資座組の交渉、 各種契約書の作成、俳優出演交渉、配給交渉、当座の資金繰りの手配、ロケハン スタッフ選定etc
(これらのことを並行してやるので、一人では出来ません)
製作期間中は、予算・スケジュール管理、スタッフキャストの健康管理、 宣伝・取材の窓口、仕上げ業務との連動など。とにかく決めた予算内、決めた スケジュール内で映画を完成させることが主業務となります。
(これはスタッフキャスト一丸となって始めて達成できることです)
公開までは、主に出資各社(委員会)の幹事会社となって、宣伝費用の算出、 プロモーション計画、ポスター・予告などの宣伝材料のチェックetc
(この辺は宣伝・配給会社がいなければ出来ません)
こうして挙げていくと、何一つ自分だけでは出来ないことばかりです。
 
Q11. 映画をプロデュースする上で、重要なことは?

上記のことをうまくやるためには、人脈とその人たちに対する信用が不可欠です。但しこれも一朝一夕には作れないので、作品ごとに積み上げていくしかない。 プルミエでの15年があって、どうにかやれてはいますが・・・
 
Q12. 映画は月に何本ぐらい観る?

ここ数年は、試写も含めて映画館の椅子に座ってみるのは年間40本ぐらい。ビデオ・DVDは60本以上観ているので100本は越えると思います。
 
Q13.削除
 
Q14.削除
 
Q15. 一緒に仕事してみたい映画人は?

特にいません。ぼくはキャスティングの段階でその時々のタイミング、運などを信じるほうです。どんなに強く思っていても御一緒できない俳優さんもいるし、逆に何の因果か何度も御一緒する俳優さんもいます。『カーテンコール』はその点特殊だったかもしれません。修平=藤井隆さんというビジョンが浮かんでから、具体的にプロジェクトを始動しました。
 
Q16. プライベートな時間は何をしている?

映画を観る、本を読む、呑みに行くが圧倒的に多いですね。
休日の午前は5歳の息子と遊び、午後はレンタルビデオ、図書館、健康ランドの順です。
 
Q17. 最近、こだわっていること。

健康体操(ストレッチのようなもの)・・・TVで観た
 
Q18. 故郷への想い

僕は生まれ育った水戸がとても好きです。地元の友人は学校の先生が圧倒的に多く、あとは医者や公務員、銀行などが続きます。高校のクラスメイトで小説家になった者もいます。
今度書いた本が映画になります。これは僕らの母校の話なのでとても楽しみ。
 
Q19. 削除
 
Q20. 臼井さんを支えている全ての人へのメッセージをお願いします。

『チルソクの夏』というたった1本の小さな映画から広がった人の輪、これにはただ驚くばかりです。
1本ずつ積み重ねることが皆様への恩返しになると信じ、これからも頑張りますのでよろしくお願いいたします。



  Copyright (c) 2005-2012 CINEMOVE, Inc. All Rights Reserved.(by Early Computer Inc.)